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アートについて?

高のペンテコステ(そんなのホントはないですよ…念のため…)が終わったから
「はい、次はクリスマス」というんじゃもちろんなくて、
でも私の中では確かに一区切りついた気がします。
高とまたゆっくり話ができたから。。。

高が私をおいて逝くことをどんなに恐れていたかを感じた。。。


自分が死ぬことの恐れより、私のために生きねばならないと思っていた気持ち、
日記でも読んでいたけれど、でもそれが生きた感情として迫ってきました。

わがまま言わないで生きなきゃと思いました。



仕事につくための準備として、社会に慣れるのもかねて2月には職訓に行くつもりです。
その後は何ができるかわかりませんけど、なんでもやってみます。
ま、パートだろうけど。。。



それとは別に聖歌隊のカムバックと、絵も描きたい。
絵は今日も描いたんですよ。でもきれいな絵を描いちゃった。


前の記事で、Oみちゃんが私のことを「アーティスト」と言ってくれたのは
彼女とはその手の話をよくするのですが、絵がうまいとかそんなんじゃなくて、
「自分の深部を見つめて表現ができる、せざるを得ない魂がある」という意味です。
私もアーティストってそれだなって思う。
希望に満ちていて傍から気持ちよくても、ドロドロでも。。。

せざるを得ないからアーティストは何をやってもアーティスト。
ぽちこちゃんともこの話はよくします。(彼女は本物のアーティストよ^^!ほほ…)


私はずっとそんな人ではないと思ってきたけれど(職人的イラスト描きと思っていた)
やっぱりこんなことがあると、出さざるを得ない、何かがあるのに気づかされます。



私いつも意外だといわれますが、A型で…関係ないのかもしれないけど、
実は自分を偽るのがもう日常過ぎて自分がどうしたいのかわからない。。。^^;
やるべきことをするのが気持ちいいです。でも好きでしているのではなくて強迫観念からなの。

クリスチャンになってなおさらかもしれない。
「道徳的であれ」とかそんな杓子定規なことじゃなくて…
自分に向かうことを避けてるのかもしれません。
なにか抱えれば抱えるほど神に向かおうとするでしょ。。。クリスチャンって。
でも『違ってる!』と叫ぶものが自分の中にいるのですね。
その折り合いがつかないのかもしれないです。
自分をとことん見つめたいというのは、ある意味アンチ信仰になる気がして。
ナルシスティックで、自己憐憫のかたまりの自分が出てくる気がして。。。違いますかね?


閉じているほうが自分に開く。
それが神に背を向けることになるかどうか…そこで私の本当がわかるのかな?
信仰に偽りがなければ絵の中に神がともにいるのでしょうね。


ま、まったく偽りがないという人はかなり自己欺瞞なのかも…?パウロも言ってるし。
みんなありますよね。神じゃないんだから^^;
も少し楽に考えてもいいぞ、もときっちょむ!



ところで、扉の写真、深紅のバラに替えました。(テープのデザインが邪魔だじょ… )
6/30に高の職場の前庭で撮ったものです。
乏しい写真のストックの中からですけど…(しかも以前使ったかもしれない^^;)

撮ったときは時はただきれいだと思ったのですけれど、
今はバラの赤が血の色に見えて、でもとてもイノセントに見えて、
無垢な赤ん坊でいながら受難を背負った
受肉した神の御体であるイエス・キリストにふさわしい気がしました。
雫はマリアの涙にも思えました。(ちょっとうがった見方か^^;?)


でもこんなことも今の私の気持ちの表現になってる。

表現力のないことこの上ないけれど、
それでも私のアートなんだと思います。


以上!!(誰に言ってんの?)






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