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あでやかに白牡丹


うちの芍薬にも似ていますが大きさがまったく違う。。。牡丹です。
ここは花が遅かったり早かったり。。。家のご近所とはちょっと状況が違いますね。。。
芍薬はその名のまま根が薬ですが、牡丹はどうなのかな?


というわけで写真は昨日にひき続き“秘密の花園”ですが、内容は「死」です^^;
花の名前は写真の上にカーソルを乗せると出てきます。




温室のゲンペイカズラ


昨日NHKの「ニュースウォッチ9」という番組で秋葉原の事件の「社会的背景、若者の孤独感」と、
大学の授業で「死生学」の授業があったのを流していました。
見ました?


私、ブログであちこちにカキコミしながら(あれ、自分の日記かな?)、
後ろにあるTV画面をたまにチラリ。。。
だからちゃんと見ていたわけではないのですが、

その『死生学』の授業では、自分が不治の病気になって(あってる?)、
自分の愛するものを一つずつ手離さなくてはならないということを自分なりに体験していくわけです。

具体的には何枚かの紙切れに自分の今愛するもの、大切にしているものを
紙一枚ごとに一項目書くわけです。
例えば「音楽」「ある友人」「妹」「母」など・・・

それが体力がなくなったり、入院したりで段々あきらめざるをなくなってくる。。。


で、自分の状態が変わるその度に、不必要なこと、できなくなるもの。。。
一枚とか二枚とか、破り捨てなければなりません。

ある男子学生は、友人をあきらめ、音楽をつらそうにあきらめ。。。そして最後に残った紙には「母」と。。。

そして死の間際、その「母」も破り捨てる。。。
泣いていました。。。





オニグルミの木肌にコケ


多くの学生が最後のカードに『母』を残していたそうです。(ホッとすると同時に、父はいずこへ?^^;)

自分にとって、何が一番大切か。。。
そして自分が死んでいくことの痛みを、シュミレーションしながら『いのち』を考えるのですね。
人生のはじめての 『たな卸し経験』 と言ってもいいと思います。。。


高は見ていなかったです。
痛みがあったので2階で寝ていました。

彼が見ていたらなんと言っただろう。。。
今、まさに経験している最中ですからね。。。




温室の名前のわからないサボテン


まず彼は「あきらめない人」です^^!
私はそれでどれだけ疲れたか。。。^^; (疲れる私にも問題があったのですが・・・)


「登山」 「山スキー」 「サックス演奏と練習」 「自分のライブ」 「ライブ(コンサート)を見ること」 「仕事(大好き!)」 「友人」 「ビール」 「活字を読むこと」 「勝っている^^;スポーツのテレビ観戦」 「実家の家族」 「私ときっちょ」 「イエスさま」。。。

このぐらいは私でも容易に想像がつきます。(別にもっと大切なものがあるかも?あってもいいと思います^^)


・山スキーの最後は一昨年のGWの十勝岳でした。(これからのことはわかりませんよ!)

・ジャズライブの最後は去年の夏かな?(癒しを信じています^^)

・それとほぼ同時にテナーサックスは重いので吹けなくなり、

・アウトドア仲間とジャズ仲間は、会いたくない人たちとなりました。(程度はありますよ・・・)

・仕事は何とか半日勤務が週に半分以上いけています。

・今、薬の副作用か、目が急激にかすむようになり、活字が読みづらくなってきました。
聖書が読みづらい。。。新聞が読みづらい。。。
それでも活字が好きな彼は、遠藤周作や三浦綾子の文庫本は手放しません。



友人はね、いいときの友人は、困っちゃうんでしょうね。。。あちらも離れていくのと、
人に会う気力がなくなるみたいです。
昔からの友人、何も話さなくてもその場にいられる友人・・・が残っています。
(もちろん離れていてもみんな高を愛し祈り願っていてくれているでしょうし、高もそうです)



私もそうですけど・・・きっとね、
最後に残るのは「実家の家族」 「自分の今の家族」そして「神様」。

そして最後のカードは「神様」だと思いますよ。(しかも破かないでいいカードです^^!)





温室のサボテン・オプンチア・・・雪のついたミトン


自分にとって一番大切なもの。。。それが見える。。。
病気になることは悪いことばかりではありません。


もしかしたら急に誰かを奪われた人は、奪われてはじめてその人の大切さに気づき、
それでなおのことつらいのかもしれないですね。



“人の命はいつどうなるかわからない”のですから、
『大切ならば大切に接する』  『何が一番自分のためなのかを考える』。。。
それは誰にでも日常的に大切なことなのでしょう。






ナデシコの群生


私、高が死ぬまでは死にたくないの!(癒され長生きしてなお…という意味ですよ^^)

そうですね。『先に死にたい』という気持ちはありました。だって残されたらイヤだもん。。。

でも今は少し成長したのかな^^;?



で、私は私のことは、もう主に委ねようと、当たり前に思っています。

お金もなくて野たれ死ぬようなことになっても、それもなかなか死ねないような。。。^^;
でも、主の守りがあるでしょう。

そして御国へ行くでしょう。
天使の梯子はエスカレーターで、きっと天使のお迎えで楽に逝けるでしょう。



誰だって「愛」が欲しいのです。
一番つらいときには『本当の愛』のあるところを選ぶのです。
(いい医療とかは生き残る手段です。幸せとは関係ないです。キッパリ!)




「神は愛なり」










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